過払い金請求ブームの後・・・個人的所感です。

こんにちは、司法書士しおり綜合法務事務所です。

過払い金返還請求バブルが終焉を迎え、これから何を主軸にして経営をしていくのか、これは何処の事務所でも同じように頭を抱える問題だと思います。

過去の栄光にいつまでもしがみつき、法律家としての本懐を忘れたまま、時が無駄に過ぎていくのか?

来年にかけ、業界では大きな転換期を迎えてくると思っています。

さて、ネットの記事を見ていましたら、大変気になる記事がありました。あくまでも個人的な所感で書いておりますので、興味がない方はスルーして下さい。少し長くなります。

以下ネットの記事より

ココイチ創業家の引き際 http://news.yahoo.co.jp/pickup/6180158

「カレーハウスCoCo壱番屋」。ココイチの愛称でも知られる黄色い看板が印象的で、文字どおり、カレーライスを中心とするメニューを取りそろえたカレー専門の外食チェーンだ。日本全国に展開する約1260店のネットワークは、国内で2番手とみられる「ゴーゴーカレー」の約70店を圧倒的に引き離す。直営・FC(フランチャイズチェーン)でココイチを運営する壱番屋は、同業態で唯一の株式公開を果たしている。
そのココイチが、ハウス食品グループ本社の傘下に入る。言わずと知れた「バーモントカレー」「ジャワカレー」「こくまろカレー」などのカレー用ルウで首位の食品メーカーだ。壱番屋はハウス食品からすでに19.5%の出資を受けているが、ハウス食品のTOB(株式公開買い付け)を経て連結子会社となる。TOBが完了する見通しの121日にはハウス食品の出資比率は過半の51%まで高まる見込みで、一連の買収額は約300億円に上る。
<<中略>>

 ■ビジネスモデルをつくりあげた創業家
 宗次徳二さんは2002年に経営の一線を退いてからは、名古屋・栄に私財を投じて「宗次ホール」を開設。クラシック音楽の普及などのボランティア活動を進めており、株の売却資金はボランティア活動の原資に充てるそうだ。もともと壱番屋にハウス食品が資本参加するきっかけとなったのも、同じ事情だという。
 創業家が経営に重大な発言権を持つ大株主でなくなってしまう。つまり、ココイチのビジネスモデルをつくりあげた創業家がいっさい身を引く、というのが重大なポイントである。
ココイチはスタンダードな日本の定番カレーを提供し続けてきた。そして定番をベースに、量や味、辛さなどをお客一人ひとりの嗜好に合わせて提供する、いわばマスカスタマイゼーションの先駆者でもある。宗次家は、そんなココイチをどのようにつくりあげてきたのか、歴史的に重大な局面を迎えている今、ルーツをたどってみよう。
 壱番屋は「ニコ、キビ、ハキ」をキャッチフレーズに店舗を運営してきた。いつもニコニコして、キビキビ動き、ハキハキ対応する。奇抜ではないものの、この「当たり前」の徹底にこそ壱番屋の強みがある。ココイチのファンを着実に増やしていった要因だ。
 1号店が名古屋市郊外にオープンしたのは19781月。宗次徳二さんと直美さんの夫婦は当時、喫茶店を営んでいた。店舗に立つなり天職だと知った徳二さんは、そこからすべてを捧げていく。もともと出前サービスの客単価を上げるためにカレーを考案したのち、すべての市販カレーを試食し、自前カレーの提供を決意し、そこからカレー専門店のココイチ屋につながっていく。
 家庭の定番メニューであるカレーを主力商品に据えたり、のちにチェーン化していったりすることは、ある種の発明であった。もちろん後付けの解説ではあるものの、定番カレーを提供し続けてきたことにココイチの成功があった。
 立地が悪くても客数を伸ばすために日々考え続け、そして、土日もすべて働いてきた。直美さんも子どもを保育園に預けて、迎えにいって寝かしつけたのち、夜な夜な働く日々を送った。店舗が全日本に広がってからも、2人のハードワークぶりに変化はなく、店舗を見回っては掃除が完璧ではないと、清掃具をもって掃除を始めることもあったそうだ(もちろん社員にとめられた)。バブル期にも堅実すぎる経営を続け、なんら無駄な経費を使わなかった。直美さんは雑誌のインタビューに「うちは飲み屋さんの領収書が1枚もない会社ですから、国税局が入ったときには、2回とも1円の修正もなかったのよ」と答えている(雑誌「2020AIM200012月号)

■ 年間5000時間以上も仕事に費やす
 宗次徳二さんは、早朝に出社し1日に約1000通も届くお客様アンケートにすべて目を通し、コメントつきで店長にFAXしていた。時間があれば自社店舗をつぶさに見て回り、現場の改善にすべてを捧げた。仕事とは無関係ゆえに、趣味がなく、また友人をつくることを自らに禁じていた。
 年間5000時間以上を働き、元旦には休むとはいえ、大晦日から元旦にかけて経営目標を立てたのち、であった。その働きぶりの極端さは、ある意味、感動的なほどだ。今回、この記事を書くにあたって宗次徳二さんの資料をまとめて再読していたとき、私は胸が熱くなった。
 宗次さんはもちろん、単なるハードワークだけではなく、経営上の発明も行った。「ブルームシステム」と呼ぶ独特のフランチャイズシステムだ。ブルームとは「開花する」意味を持つ。ブルームシステムとは、いわゆる「のれん分け」制度で、壱番屋に入社後2年で独立できる仕組みで、全国に急拡大してきた。
 2009年からは「ストアレベルマーケティング」という手法も展開する。これは、いわば地域戦略であり、それぞれの店舗が商品を開発し、それを全国展開する仕組みだ。現在、コンビニエンスストアであっても、たとえばセブンイレブンは全国均一展開するプライベートブランドの品質向上とともに、地域限定商品を将来的には50%以上に引き上げようとしている。
 飲食店とはコンビニエンスストア以上に地域に根付かなければならない。フランチャイズシステムを有しつつ、全国一律の店作りを志向しない”面白さ”がそこにはある。今のココイチの土台は、こうやって作り出された。宗次さんはカレー専門外食チェーンで圧倒的な地位を築いたカリスマ経営者といっていい。
 1030日の会見で壱番屋の浜島俊哉社長は、「単独でやっていくのが難しいのか」という質問に対して、「もう少し長いレンジでモノをみている。創業者が亡くなったときのことも考えて、株を安定的にしっかり持ってくれるハウス食品に任せるのがいいだろう」と答えた。

カリスマ経営者が大きくした企業には後継者問題の難しさがある。創業者であればなおさらだ。そして創業者自身が「自分のつくった会社は竈(かまど)の下の灰まで、すべて自分のモノ」という意識を持って、仮に一線を退いても名誉職で残ったり、大株主であり続けたりして影響力を発揮することがある。血縁関係だけで才覚もない身内に継がせて、経営がおかしくなる企業も枚挙にいとまがない。

一方で、会社側も創業者やカリスマ経営者だからこそ、その手腕にいつまでも頼ってしまうケースもある。ただ、それでは大きく時代が変わっていく中で新しい発想を採り入れられずに、商機を逃してしまうような場面もありうる。
ココイチは創業家が経営の重要事項に今後は原則としてかかわらない方向で、一線を引いた。会社も創業家も覚悟したうえでの決別なのだろう。後々振り返ったときに、この決断が「鮮やかな引き際だった」と賞賛される日が来るかもしれない。

この記事を読んで、さらに経営者のインタビューも大変目を惹きました。

ベンチャー通信オンラインより http://v-tsushin.jp/interview/ichibanya_18/

感謝の気持ちを忘れずに、コツコツと地道に継続し続ける

株式会社壱番屋 創業者/特別顧問 宗次 德二

みんなが知っているカレーの「CoCo壱番屋」。ココイチの愛称で知られるカレーのCoCo壱番屋は、現在全国に1000店舗以上もある。またハワイや上海、台湾まで店舗を出店している。そのココイチの創業者、宗次德二は想像を絶するほどの人生を歩んできた。両親もいない極貧だった少年時代、荒れ狂うギャンブル好きの養父。数々の困難を乗り越えてきた宗次は、人に対する「感謝」の気持ちを常に忘れずに、見事1000店舗を達成し、東証一部に上場を果たすことができた。

※下記はベンチャー通信18号(2006年4月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

―まず、商売人に必要な心構えって、何ですか?

宗次:何よりもまず、「お客様第一主義」ですね。自分たちのことは二の次で、お客様に身を捧げる。私は、現役の経営者だった時(2002年5月31日をもって現役引退)は、社外の交友関係などは一切広げずに、常にお客様のことだけを考え続けていました。自分に期待してくれる人に少しでもお返しをしたい。だから時間も体力も無駄遣いしたくなかったんです。  経営者の中にはちょっと成功すると、初心を忘れて、社外の交友関係に目がいってパーティーにばかり参加したり、派手に遊んだりする人もいます。でも、そんな経営者は長くは続きません。本業のこと以外に気を取られてはいけないんです。お客様や取引先、そして社員のことを常に考えなければいけません。 やはり、商売の基本というのは、コツコツと地道に地に足を付けて一生懸命にお客様のために頑張ることだと思いますね。そうすれば、急激な成長はしなくても、5年、10年のスパンで見れば、ずっと右肩上がりが続くんです。また、ライバル業者などの同業者に気を取られすぎるのも良くない。ライバル会社がこうしたから、自分の会社もこうする。そんな信念の無い経営をしていてはダメです。

―最近、若いITベンチャー起業家が多いですが、宗次さんはどのように思いますか?

宗次:最近の若い人たちは幸せだと思います。いまの日本は昔に比べてチャンスが溢れている環境です。だから、そのチャンスを活かして、失敗してもいいから何でもチャレンジするべきです。やはり失敗しないと”本質”は見えないと思います。失敗していない人は、上辺のことしか見えないんです。情熱を持って諦めずにやり続ければ、必ず結果がついてきます。やり続ける中で、社会から評価されることはそのまま継続する。失敗したことは教訓として活かす。この姿勢が大事ですね。 若いうちはさんざん苦労したらいいと思います。苦労は経験という宝になります。私も若い頃に”お金”と”人材”でたいへん苦労しましたが、その苦労が後の人生の大きな糧となりましたから。

―成功する起業家の共通点って何だと思いますか?

宗次:やはり「誠実さ」ということだと思います。誠実な人でないと、部下も信頼して付いていかないでしょう。打算や利害だけで人と付き合う人はダメです。経営者は、心と心の関係を築かないといけません。社員との関係も心と心。お客様との関係も心と心。打算や、自分中心の考え方では絶対にダメです。 他には、「謙虚さ」ですね。謙虚な心を常に忘れない。これが大事です。

―宗次さんは、自分が儲けたいなどの気持ちはなかったんですか?

宗次:はっきり言って、全く無かったです。ずっと無かった。儲けたい、成功したい、という気持ちはありませんでした。ただ人に喜んでもらいたかったんです。

―どうして、そんなに欲がないんですか?

宗次:私は小さいころに徹底して鍛えられたんですよ。雑草を食べて育ちましたから。15歳まで誰からも見向きもされなかったんです。本当に孤独な15年間でした。でも、その15年間で、私は徹底的に鍛え上げられたんです。私は両親の顔を知りません。親がいなくて、孤児院で育ったんです。そして3歳の時に、宗次姓の養父母に引き取られました。でも、その養父がすごく荒れた性格でした。数百円でもあれば、それをギャンブルに使う性格。パチンコに行く毎日でした。私は掃除をしていないだけで、殴られたりもしました。すごく暴力を振るう人でした。時には荒れて、隣近所に包丁を持って暴れることもありました。そんな養父に愛想をつかして、養母は家を出ました。 そして残された私は養父と二人暮しをしました。まさに電気もなく、ろうそくの生活でしたよ。千円札なんて見たこともなかったです。自宅も家賃が払えずに追い出されるので、半年で転々とする生活でした。そんな生活を送りながら、「将来は誰にも頼らずに一人で生きていかなければ」と強く思いました。学校から弁当を持ってくるように言われた時は、貧乏で弁当を持っていくことができずに、みんなが昼ごはんを食べ終わるまで、校舎の裏で一人じっと待っていることもありました。また家庭訪問も断った。4畳半の貧乏生活を学校の先生に見られるのが嫌だったんです。当時は食べたいものが満足に食べられませんでした。ごちそうといえば、煮干だったんです。そんな信じられないような生活が15歳まで続きました。 すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった。

―その生活を抜け出すきっかけは何だったんですか?

宗次:高校に入学して、同級生の家でアルバイトをさせてもらったんです。ちょうど私の同級生が豆腐屋の息子だったんです。そこで早朝にアルバイトをさせてもらいました。毎朝その豆腐屋でアルバイトをさせてもらって学校に通いました。そのお金で高校の学費も払うことができました。もともとお金がなかったので、高校進学は諦めていたんですが、担当の先生に強く勧められて試験だけ受けてみたんですね。学費も自分で稼げるようになったので、何とか無事に高校は卒業できました。また、初めて自分でお金を稼いで、本当に嬉しかった。それまでは食べたいものが満足に食べられない生活だったので、お金を稼いで少しは生活も楽になったんです。

―ようやくドン底の生活から抜け出すことができたんですね。

宗次:そうですね。またちょうどその頃に、養父も亡くなりました。ほとんど栄養失調に近い状態で亡くなりました。死因はいちおう胃ガンだったんですが。でも、そんな荒れた養父でも、私は大好きだったんですよ。暴力も振るわれましたが、私は大好きだった。職業安定所から年末に一時金として、少しだけお金をもらえたことがありました。その時に、そのお金で養父がリンゴを2つ買ってくれました。それくらいしか思い出らしい思い出はないんですが、その時の嬉しい気持ちは今でも覚えていますね。

―でも、そんな少年時代を過ごして、よくグレなかったですね。

宗次:勇気がなかっただけだと思います。気が小さかったんですよ。単に。

―話は変わりますが、最近の若い人たちは夢が持てないという人が多いです。どうやったら、夢や大志が抱けるんでしょうか?

宗次:大きな夢や目標など持たなくていいんです。まずは目の前にある目標を達成していく。たとえばウェイトレスをしているなら、誰よりも早くお店に行くとか、誰よりもお皿を綺麗に洗うとか。誰よりも努力してみる。私もサラリーマン時代は、誰よりも早く会社に出勤しました。 急には上には行けないものです。地道にコツコツと目標の底上げをしていけばいいんです。その継続の中で、大きなことが成し遂げられると思います。だから、今日一日を頑張ることです。私の場合は、大きな目標などは必要ないと思っています。小さい目標を達成して、それを継続する。それが全てだと思います。  また、何でもいいから人から認めてもらうことですね。掃除でも何でもいいんです。そうすれば自分に自信がつきます。そこでも大事なのは、継続することなんです。意外に継続することは難しいんですよ。器用な人ほど、最初はうまくやるけど、継続はしない。勢いのある人もそうです。最初は勢いがあって、うまくいっても継続は難しい。だから、不器用でもいい。コツコツと地道に継続して、人から認めてもらう。その連続が素晴らしい結果を生み出しますから。

―宗次:「感謝」です。特に経営者は感謝の気持ちを常に持ち続けることです。経営なんて自分一人では何もできません。お客様、取引先、そして社員の方たちに常に感謝の気持ちを持ち続ける。私の場合は、苦労した生い立ちがあるので、自然と人に対する感謝の気持ちを持ち続けることができました。 その感謝の気持ちを持ち続けて、引退までやってこれました。これは本当に幸せでした。また、経営者にとって、お客様は最高の先生です。お客様からのクレームはファンレターです。私は現役の経営者の時、毎日欠かさず3時間半の時間を費やして、お客様からのアンケートハガキを読んでいました。その内容が厳しければ厳しいほど、本当に役立ちました。経営者の時の睡眠時間は、3、4時間程度でした。睡眠時間を削っても、お客様の声を聞くのを優先したかった。経営者は、楽しいことは社員と分かち合い、厳しいことは自分が引き受ける覚悟がなくてはいけません。

―最後に読者にメッセージをお願いします。

宗次:やはり「初志貫徹」ですね。初心を忘れずに、やり続ける。一時の成功よりも、継続することの方が大事なんです。どんなに失敗してもめげずに続けていく。その情熱が大事です。みなさんも地道にコツコツと頑張ってください。焦らないでいいと思います。

まったく違う業界のおはなしです。しかし今回このような記事を引用させて頂き、何を伝えたいのかと言いますと、やはりどのようなお仕事でも「誠意」を持って取り組まなくてはならないって事を痛切しました。司法書士は本来、登記のお仕事が専門でした。それが簡易裁判所における代理権を利用できることで、業務の幅は確実に広がったと思います。そのような環境の中で、街の法律家として基本的な登記のお仕事はもとより、どのようなご相談でもお受けして、真摯に対応し、着実に業務を遂行する、そしてご相談者に少しでもお役に立てればと思います。

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